No28:残る言葉は慎重に。

突然ですが、

「ネガティブな文章」

についてどう感じますか?

 

ネガティブ、と言ってもいろんな

ネガティブがあると思うので、

この言葉だけでは、想像することが

人によって違うかもしれません。

 

 

僕がここで書いている

「ネガティブ」

というのは、

「相手を陥れるような発言や雰囲気」

をネガティブ、と書いています。

 

 

もちろん、

「仕事が辛い」

「面白くない」

「今日はこんな嫌なことがあった」

「先輩に嫌なことを言われた」

 

みたいな愚痴っぽいのも

ネガティブに入ると思うんです。

 

ポイントは、

「相手を陥れる」

です。

 

 

僕はこういうネガティブな表現は

なるべくなら、文章に残らないように

した方が良い、という認識でいます。

 

 

それは、「愚痴を言うな」とか、

「ネガティブな思考はダメだ」

と言うことが言いたいわけではなく、

 

 

それよりは、形に残るようなことは

避けた方が良い、と言うお話です。

 

 

 

なぜか?

 

 

 

という話を、今回少しだけ触れていきます。

 

 

この世の中で起きている事象はたった1つですが、

実際に、受け取る現実は、人の数だけ存在します。

 

これは人間は主観でしか物事を見れないから、

という話だと思うのです。

 

 

例えば、先輩のAさんと後輩のBさんと

後輩のCさんがいたとします。

 

 

後輩のBさん、Cさんは、先輩Aさんに

ある仕事のことで、同時に指摘されました。

 

その時に、Bさんは、先輩に怒られたと感じ、

Cさんは指摘されて嬉しいなぁ、と感じました。

 

 

 

こんな風に、同じ事象が起きたとしても、

BさんとCさんが感じることは違う、という話です。

 

 

 

事象としては、「指摘」ですが、

そこから感じ取るものは

BさんとCさんとでは、違うものです。

 

もしかしたら、Bさんは過去に

両親から常に怒られていて育ったことが

原因で、何でもかんでも、指摘されることは

「怒られた」という方程式を心の中で

作っているかもしれません。

 

 

もしかしたらCさんは過去に

両親からの指摘は、笑いながら行われて

育ったことで、指摘されることは、「良いことだ」

という方程式を心の中で作っているかもしれません。

 

 

そんな風に、人の主観は過去その人が

経験してきたものを参照することで、

その人なりの解釈を自動でつけてしまう

ものです。

 

 

 

ですから、全く同じ「言葉」だとしても

その人が感じる雰囲気は違う

ということが言えてきます。

 

 

そういう前提で、文章を見ると、

特にネガティブな文章は

 

少し取り扱いに注意しておいた方が、

リスクを避けることができます。

 

 

例えば、

・SNS上で誰かを晒し者にした文章を書く

・憶測で誰かの悪口を書く

・意図的に嫌味を書く

 

この辺りは、わかりやすい話題かもしれません。

 

 

自分にとってすごく嫌なことが起きたとして、

それをありのままの事実を書いたとしても、

第三者から見たら、都合の良い主観で判断されるものです。

 

人は見たいものしか見ないですし、

読みたいものしか読まないものです。

 

どんなに丁寧な文章を書いていたとしても、

全てを丁寧に受け取ってくれる人は

ほとんどいません。

 

 

 

ですから、自分の感情を含めた

ネガティブな文章は形に残ってしまうと、

 

都合の悪い部分をピックアップされてしまう

ということが起きる可能性があります。

 

 

 

僕は会社員時代に、先輩に指摘されて

なるべくなら、そういうネガティブな

文章を残らないように、気をつけています。

 

しかし、それでも僕は過去に家庭の事情もあって、

比較的ネガティブな発想になりがちな部分が

あったりするので、うっかりしていると、

結構やらかしてしまうこともあります。

(かなり減りましたが)

 

 

そういう意味では、僕は反面教師

みたいなポジションになってしまうのかも

しれません。

 

 

 

いずれにせよ、残ってしまうような言葉は

慎重にいきたいものです。

 

 

これも「日々、雑に扱っていないか?」

という問いを自分にすることで

回避していくことができるものです。

 

 

整体師さんから教えてもらったことですが、

 

言葉は「ポジティブなもの」を表現するために

生まれたものです。

 

嬉しい!とか、楽しい!とか

 

 

でも、ポジティブさを理解するには、

反対の「ネガティブさ」がないと、

理解できないものです。

 

 

だから、ネガティブな言葉がある

と思うのです。

 

 

ネガティブを中心にしないためにも

誰かを貶めるとか、自分の解釈で

誰かの価値を下げるような発言や

文章は生み出さない方が良いと思うのです。

 

 

「やったらやり返せ精神」

は美しくはないと思うんです。

 

 

それをやってしまうと、

相手もダメージを受けるし、

自分もダメージを受けたりします。

 

 

自分はダメージ受けないだろ、

と思ってる人がいるかもしれませんが、

 

 

「あ、そういうことを言ってしまう人間なんだ」

 

と思われるってことです。

 

 

 

これが仕事であり、フリーランスなら、

自分のブランディングに影響していきますし、

会社に所属していれば、会社のブランディングに

影響してきます。

 

 

大企業になればなるほど、

社員教育が徹底されているのは、

会社のブランドを悪くさせないためです。

 

 

 

そういう発想で見たときに、

言葉というものはすごく強い媒体になりえます。

 

ちなみに僕は、そういう視点で見たら、

会社の制服で、プライベートを過ごす人は違うと思ってますし、

会社のストラップをつけて、コンビニで立ち読みしてるのも

どうかと思ったりします。

 

本当はそれくらい、徹底しないと

会社のブランドは保てないものです。

そこを自覚していない人はもしかしたら

多いかもしれません。

 

 

 

だから、せめて残る言葉は

より慎重になった方が良いと思うのです。

 

 

これは「嫌なことがあっても我慢しろ」

という話でもありません。

 

 

「口頭なら良い」とは僕は思いませんが、

それでもまだ録音されていない限りは

残らないものですから、文章よりは幾らかマシかもしれません。

 

 

残ってしまうような状態は、

どこかで、ぐるっと回って、

最終的に自分にくるものです。

 

 

 

 

 

これを意識している人は

すでにできている人ですが、

意外に忘れてしまったり、

意識できていないと、結構簡単に

やってしまいます。

 

 

 

残る言葉は慎重に。

できれば、ポジティブさを世界に

たくさん残したいものですね。

 

 

相手のためにも、

そして、自分のためにも。